こんにちは。興和流通商事株式会社の丸です。
お休みの守岡に代わり 今日もブログを担当させていただきます🎶
早速、昨日の続きから。。。
え?タイトルの鰭ヶ崎の地名の由来はどうなったかですか?
それは 後々ご紹介致します。🙇もうちょっと お待ちください~
さて 三尸(さんし)が自分の体から出ていかないように、
庚申待ちをする風習は 始めは貴族に信仰され 民衆にも伝わっていったとのこと。
庚申待ちを三年続けた記念として 建てられたものが 庚申塔(こうしんとう) で、東福寺にも 板碑や青面金剛の石像などが残されているそうですので
探してみるのも楽しそうですね。(⋈◍>◡<◍)。✧♡

気合いを入れて 急な石の階段を登った先の赤い門には 守龍山 の文字。東福寺の 山号(お寺の名前の上に付ける称号 もともと 寺は山に建てられることが多かったので、その山の名前で呼ばれたそうです)です。。。
カッコいいですね💕
お寺の名前の由来は 弘法大師が 龍王の願いで寺を建て、永くこの地を守り 福をもたらすよう
守龍山 東福寺となったとのこと。
段々 核心に近づいてきました(≧◇≦)
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赤い門はお寺を守る金剛力士(阿像・吽像)を左右に持つ仁王門でした。 |